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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)219号 判決 1992年10月28日

原告

戸水辰男

被告

特許庁長官麻生渡

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成1年審判第264号事件について、平成3年7月11日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文同旨

第2当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

訴外戸水総子及び同加藤幸枝は、昭和57年7月30日、名称を「眼鏡又は写真機のレンズ拭き布」とする考案(以下「本願考案」という。)につき実用新案登録出願を行った(実用新案登録願昭57-117127号)。加藤幸枝は、平成元年6月14日本願考案につき実用新案登録を受ける権利の持分を戸水総子に譲渡し、同年同月15日その旨を特許庁長官に届け出た。

同出願は、昭和63年10月26日に拒絶査定を受けたので、戸水総子は、昭和64年1月4日、これに対する不服の審判の請求をした。戸水総子は、平成3年5月30日本願考案につき実用新案登録を受ける権利を原告に譲渡し、同年7月8日その旨を特許庁長官に届け出た。

特許庁は、上記請求を平成1年審判第264号事件として審理したうえ、平成3年7月11日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年8月20日、戸水総子に送達された。

2  本願考案の要旨

平織りの未処理の麻布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布。

3  審決の理由の要点

(1)  本願考案の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、原査定の拒絶理由に引用した実用新案公報(実公昭38-16881号公報・昭和38年8月12日出願公告。以下「引用例」という。)には、未処理の織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布が図面とともに記載されている。

(3)  本願考案と引用例の考案とを比較すると、両者は、「未処理の織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布」である点で一致し、本願考案では、織布として平織りの麻布を使用しているのに対し、引用例の考案では、使用する織布の例として、ビロード、絹は挙げられているが平織りの麻布は挙げられていない、という点において相違している。

(4)  そこで、上記相違点について検討する。

従来から、平織りの麻布は各種の用途に用いられており、汚れを拭き取る布として使用することも、例えば麻布のハンカチ等に見られるように、本願の出願前に周知となっていた事項である(例えば、繊維学会編「繊維便覧-加工編-」参照)。

したがって、引用例記載の眼鏡又は写真機のレンズ拭き布として上記周知の平織りの麻布からなる拭き布を採用し本願考案のように構成することは、当業者が極めて容易に想到しえたものと認められる。

また、上記相違点に係る本願考案の構成による本願考案の効果は、引用例記載のもの及び上記周知事項から当業者が予測できる程度のものである。

(5)  以上によれば、本願考案は、引用例の考案及び上記周知事項に基づき当業者が極めて容易に考案することができたものであるから、実用新案登録を受けることができない(実用新案法3条2項)。

第3原告主張の審決取消事由

審決の理由の要点(1)ないし(3)は認める。ただし、引用例には、眼鏡又は写真機のレンズ拭き布とされる織布につき未処理であることを述べた記載はなく、したがって、本願考案と引用例の考案とは、織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布である点では一致しているが、「未処理の」織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布である点で一致しているわけではない。

審決は以下の3点において誤っており、これらの誤りは審決の違法をもたらすものであるから、審決は取り消されるべきである。

1  審決は、平織りの麻布は従来から各種の用途に用いられており、汚れを拭き取る布として使用することも、例えば麻布のハンカチ等に見られるように、本願の出願前に周知となっていた事項である、というが、平織りの麻布を汚れを拭き取る布として使用することが周知となっていた事実はない。

審決が例に挙げている麻布のハンカチについていえば、まず、麻布で構成されるハンカチ自体、極めて特殊なものであるから、これを周知ということはできない。また、ハンカチは、それで顔の汗を拭いたり濡れた手を拭いたりすることはあっても、それで机の上の汚れた部分を拭いたりガラスを拭いたりすることはない(これらのことが行われるのは、既にハンカチとしての用途が放棄された場合に限られる。)。さらに、ハンカチをハンカチとして使用しつつ、例えば眼鏡を拭くのにこれを使用する者もときにはあるかもしれないが、それはあくまで代用品としての使用であるから、これをもってそのような使用方法が周知であるとすることはできない。

2  仮に、平織りの麻布を汚れを拭き取る布として使用することが周知となっていたとしても、引用例記載の織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布として平織りの麻布を採用し、本願考案のとおりの構成とすることは、当業者が極めて容易にすることのできることではない。

審決が例に挙げているハンカチを例に取っていえば、ハンカチと眼鏡又は写真機のレンズ拭き布とでは、その利用目的においてもそれを扱う業者においても相違があること、従来、眼鏡又は写真機のレンズ拭き布はすべて軟らかい材料で構成されてきていて、麻布のように硬い材料では構成されてきていないことなどに照らすと、麻布を眼鏡又は写真機のレンズ拭き布の材料として使用することが当業者にとって極めて容易であるとはとてもいえないことである。

3  審決は、本願考案は、ビロード、絹等が眼鏡拭きとして使用されることを記載している引用例と審決のいう周知事項とから極めて容易にすることのできる考案であった、との理由で請求不成立としたのであるが、その際、実用新案登録出願人であり拒絶査定不服の審判の請求人である戸水総子又はその承継人である原告に、その請求不成立の理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えることをしなかった。すなわち、審決が周知事項とすることの根拠とした「繊維便覧-加工編-」(甲第4号証)について原告が初めて知ったのは審決によってであり、原告は、この点について反論する機会も、通知された拒絶理由に応じてそれを回避するために明細書を補正する機会も審判の段階で全く与えられていない。これは、実用新案法41条で準用する特許法159条2項、50条に違反する。

また、審判の段階で拒絶理由が通知されていれば、原告は、これを回避するために明細書の補正ができたはずであり、そうなれば、仮に補正後の考案の登録が審決で拒絶されたとしても、それについて裁判を受けることができたはずである。ところが、この通知がなされず補正の機会が与えられなかったため、原告は、補正後の考案について裁判を受ける機会を奪われた。これは、憲法32条に違反する。

第4被告の反論

審決の認定、判断は正当であり、原告主張の審決取消事由は理由がない。

1  取消事由1について

平織りの麻布は各種の用途に用いられ、汚れを拭き取る布としても使用されること、ハンカチは汚れを拭き取る布としても使用されるものであること、ハンカチの材料として平織りの麻布も使用されることは、本来、論拠を挙げるまでもなく、本願の出願当時余りにも当たり前のことであった。

2  取消事由2について

引用例記載の織布は、眼鏡のレンズ拭き布であり、この織布はシリコン加工の施されていない未処理の織布であるから、本願考案と引用例の考案とは、審決認定のとおり、「未処理の織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布」である点で一致しており、両者の相違は、結局、その織布の素材として平織りの麻布が用いられているかどうかの点のみである。

ところが、一方で、平織りの麻布が汚れを拭き取る布の一つとして古くから例えばハンカチに使用されてきていることは既に述べたとおりであり、他方、引用例記載の眼鏡のレンズ拭き布は、当然のことながら、レンズに付着した汚れを拭き取るために使用されるものであるから、その素材として、同じく汚れを拭き取る布として使用される平織りの麻布を採用して本願考案のとおりに構成する程度のことは、当業者であれば極めて容易になしうることである。

3  取消事由3について

本願考案については、審査の段階において、「未処理の織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布」が記載されている引用例を示して、本願考案の程度の考案はそれに基づき極めて容易にすることができる旨の拒絶理由が通知されており、この段階で、原告には、この点につき、反論の機会が十分に与えられていた。審決が請求不成立とした判断の理由も上記拒絶理由と異なるものではない。

なお、登録出願のなされている考案が公知技術から極めて容易に推考できるかどうかを判断するに当たっては、その考案の属する技術分野における出願当時の技術常識を前提にすべきことはいうまでもないことであり、したがって、当業者が技術常識として当然了知しているべきであることについて、改めて意見を述べる機会を出願人に与える必要がないことは、明らかである。審決が上記周知事項に関して繊維学会編「繊維便覧-加工編-」(甲第4号証)を挙げたのは、それによって上記周知事項を認定したことを示すためではなく、余りにも当然の上記周知事項の一例を示すためにすぎない。

以上のとおりであるから、審決には、原告主張の手続違背はなく、したがってまた、原告主張の違法違反もない。

第5証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立は、いずれも当事者間に争いがない)。

理由

1  取消事由1について

平織りの麻布は各種の用途に用いられ、ハンカチの材料としても使用されるものであること、ハンカチは汚れを拭き取る布としても使用されるのであって、必要な場合には眼鏡等のレンズの汚れを落とすためにも用いられるものであることは、本願の出願当時わが国において当業者のみならず平均的知識を有する国民一般に広く知られた事実であることは、当裁判所に顕著である。原告は、麻布で構成されるハンカチ自体、極めて特殊なものであるというが、上記事実に照らし採用できない。また、原告は、ハンカチは、本来、汚れを拭き取るためのものではない旨主張するが、採用できない。ハンカチは、装飾用などにも用いられる一方、実用品として、身体又は装着品等に付着した汚れを除去するためのものとしても使用されていることは、日常の経験からも明らかである。

2  取消事由2について

引用例に織布からなる眼鏡のレンズ拭き布が記載されていることは、当事者間に争いがない。そして、甲第3号証によれば、引用例には、使用される織布がシリコン等で特に加工処理したものであることは明示されておらず、その記載の趣旨からして、その織布はこのような特段の加工処理の施されていない未処理のものを含むと理解される。

したがって、本願考案と引用例の考案とを比較すると、審決認定のとおり、両者は、「未処理の織布からなる眼鏡又は写真機のレンズ拭き布」である点で一致し、本願考案では、織布として平織りの麻布を用いているのに対し、引用例の考案では、使用する織布の例として、ビロード、絹は挙げられているが平織りの麻布は挙げられていない、という点において相違しているということができる。

そして、前述のとおり、平織りの麻布は例えばハンカチとして汚れを拭き取る布としても使用されるものであることは、本願の出願当時周知の事項であったのであり、また、甲第2号証の1・2により認められる本願明細書中の「従来ではこのような硬い付着物は爪で引っかいて取り除いていた」との記載からも認められるように、硬い付着物を除去するために用いる道具としては軟らかいものよりも硬いものが優れていることも日常の経験から何人も知るところであり、他方、引用例記載の眼鏡のレンズ拭き布は、当然のことながら、レンズに付着した汚れを拭き取るために使用されるものであるから、引用例記載の眼鏡のレンズ拭き布の素材として、同じく汚れを拭き取る布としても用いられる、より硬い平織りの麻布を採用し本願考案のとおりに構成する程度のことは、当業者であれば極めて容易になしうる程度のことであるといわなければならない。

原告は、ハンカチと眼鏡又は写真機のレンズ拭き布とでは、その利用目的においてもそれを扱う業者においても相違があること、従来、公知の眼鏡又は写真機のレンズ拭き布はすべて軟らかい材料で構成されてきていて、麻布のように硬い材料では構成されてきていないことなどに照らすと、麻布を眼鏡又は写真機のレンズ拭き布の材料として使用することが当業者にとって極めて容易であるとはとてもいえない旨主張するが、前叙の判断に照らし採用できない。

3  取消事由3について

審決が繊維学会編「繊維便覧-加工編-」(甲第4号証)を挙げたのは、同文献その他具体的な証拠を挙げるまでもなく当業者が技術常識として当然了知しているべき周知事項を示すための一事例としてであることは、その記載に照らし明らかである。出願人である原告もまたその一人である当業者が技術常識として当然了知しているべき周知事項について改めて意見を述べる機会や、これに関連して補正をする機会を与える必要がないことはいうまでもない。

原告主張の手続違背は認められず、したがってまた、手続違背の存在を前提とする憲法違反の主張もおよそ理由がない。

4  以上のとおり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 三代川俊一郎)

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